1985年(昭和60年)に開業した「北九州モノレール」は、小倉から企救丘までの全13駅からなる路線。都心と郊外をつなぐ重要な交通インフラとして機能しています。
北九州モノレールとは

全国には、東京、多摩、千葉、舞浜、湘南、大阪、北九州、沖縄の8つのモノレールが活躍していますが、その中で最もディープな存在なのが北九州モノレールです。
そもそもモノレールは、従来の路面電車に変わる新しい都市交通として期待されました。1950~60年代には上野動物園モノレールや東京モノレールなどが開業したのですが、当初は万博や遊園地などでの活躍が目立ちました。

1972年(昭和47年)に「都市モノレール法」が制定されると、いよいよ本格的な都市交通としての整備が進み始めます。
その適用第一号として、1985年(昭和60年)に「北九州高速鉄道小倉線」(通称:北九州モノレール)が開業。インフラ部分が道路の一部として公費で整備され、車両規格に “日本跨座式” が採用された、我が国の モノレールの標準型 がここに完成しました。

以後、1990~2000年代初頭にかけて複数の都市でモノレールの建設が進められます。地下鉄の導入よりもハードルが低く、地上交通の過密化を解消する画期的な手段として、地方中核都市を中心に重宝されたのです。

北九州市は、「銀河鉄道999」の作者として知られる松本零士氏のゆかりの地。キャラクターたちが施されたラッピング電車も走っています。

重厚な製鉄・産業都市である北九州市。その街なかで目にするのは、はるか宇宙への壮大なSF物語と、コンクリートのレールが都心を貫いている実在の風景。
このモノレールには、近未来への高揚感とノスタルジックな昭和の夢、そして都市機能を支える無機質なモダニズムが、ずっしりと詰め込まれているのです。
1000形

そんな北九州モノレールで、開業当初から活躍している車両が「1000形」です。4両編成の車内はオールロングシートとなっています。
運転席上部に設置された赤いパトランプは、どこか愛嬌を感じるアイコニックです。

白地に青帯の標準カラーは、どことなく東海道新幹線 0系を彷彿させます。おそらく開業当初は未来的でスピーディーなイメージだったカラーリングも、今となってはノスタルジックです。
立体交差する都市交通インフラ

モノレールが登場する前、かつて北九州市内では西鉄北九州線の “路面電車” と “自動車” が地上の道路を共有して走っていました。
しかし、モータリゼーションの進展により交通渋滞が悪化すると、都市機能を維持するために交通インフラを立体化する必要が迫られます。

1980年(昭和55年)には「北九州都市高速1号線」が開通。現在では5路線、総延長約50kmにも及ぶネットワークを形成しています。
同年には西鉄北方線が廃止され、その5年後に北九州モノレールが同区間に登場しました。これにより、人口が急増していた小倉南区と、商業・業務の中心地である小倉北区を結ぶ “南北の軸” が完成したのです。
一方で、当初検討されていた “東西の軸(戸畑・八幡方面)” は実現しておらず、最後まで残っていた路面電車の区間も廃止となっています。
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北九州高速鉄道小倉線 乗車レポ

それでは「企救丘〜小倉」の8.8km、およそ19分の旅の様子を紹介しましょう。
企救丘駅
「企救丘駅」は、北九州モノレールの郊外側の終着駅。小倉南区に位置しており、およそ200mほどの至近距離にはJR日田彦山線の「志井公園駅」もあります。

駅のすぐ横には、車両基地「企救丘総合基地」があります。敷地内の空いている場所を活かしてパーク・アンド・ライド用の駐車場も設けられており、マイカー勢の利用促進を図っています。

駅周辺には団地や住宅街が広がっており、いかにも郊外のベッドタウンといった趣です。
平日の昼間ということもあって車内はまばらでしたが、この先、都心に近づくにつれて車内は徐々に活気を帯びていきました。
山越え区間

「志井駅」と「徳力嵐山口駅」の間は、ちょっとした山越えの区間。眼下を走る国道322号線とともに、急な勾配を力強く超えていきます。

峠を抜けると大きく右へカーブして、ここからは小倉の中心部を目指して一直線に北上します。
競馬場前駅

「競馬場前駅」では、JRA北九州競馬場のすぐ横を通過します。レース開催日には多くのファンが集まり、モノレールの輸送力が発揮されます。
北方駅

「北方駅」付近では、北九州都市高速1号線と一体化した立体構造の中を進みます。
モノレールの軌道と高速道路が “同じ橋脚” を共有しており、限られた道路幅員を最大限に活用した、なんとも合理的で機能的なデザインとなっています。
ターミナル乗り入れへ

平和通駅

小倉駅よりも1駅手前の「平和通駅」で、一旦下車します。広々とした島式ホームを擁する駅で、魚町銀天街や小倉井筒屋へはこちらが最寄りです。
現在では途中駅となっている平和通駅ですが、実はここが、開業当初の北九州モノレールの起点であり、およそ13年間にわたって「小倉駅」を名乗っていました。

ところが、当時の国鉄小倉駅からおよそ400mも離れており、利用者からは大不評!あまりにも不便だったためにモノレールの利用者数は低迷し、長らく赤字に苦しむこととなりました。
小倉駅

「平和通駅」を出ると、さらに勾配を上って、ホテルやアミュプラザを擁する駅ビルへダイレクトに突っ込みます。車窓からの最大の見どころです。

ペデストリアンデッキやバスターミナルを眼下に眺めながら、ゆっくりと巨大な建物に吸い込まれていく。まるでSF映画のワンシーンのような非日常とともに、終点・小倉駅に到着しました。



小倉駅への乗り入れが実現したのは、1998年(平成10年)のこと。駅ビル「小倉ターミナルビル」の建設に合わせて延伸工事が行われて、ついに “400mの隙間” が埋められました。
延伸後はJRとの接続が劇的に改善し、利用者数も飛躍的に向上。ついに経営の黒字化も達成しました。現在では、広域交通の結節点である「小倉駅」と、繁華街や商店街へのアクセスに便利な「平和通駅」で役割を分担しています。

都市内部の交通(路面電車やモノレール)を、いかにして主要ターミナル駅に直結させるか。かつては断絶により利用者を悩ませてきた北九州モノレールでしたが、現在ではもっとも模範的な解答のひとつとなっています。
訪問日 2025年12月
アクセス
HP:公式サイト
運営:北九州高速鉄道株式会社
本社:福岡県北九州市小倉南区企救丘

