この記事は、郊外で生まれ育った平成世代の綴る「私と武蔵野」のエッセイです。
郊外へと押し出される武蔵野

「武蔵野」という言葉を聞いて、皆様はどこを思い浮かべるでしょうか。
明治期に国木田独歩が名著『武蔵野』で描いたのは、 渋谷 でした。巨大ターミナル駅ができたり、流行や文化の発信地になったりするよりもずっと前の、木漏れ日の美しい原野が広がっていた頃の話です。
※表紙をクリックすると楽天ブックスへ移動します。
昭和30年代になると、赤坂憲雄氏の著書『いくつもの武蔵野へ』にて 府中 が登場します。住宅化の波に飲まれつつも、まだ空き地や雑木林がそこかしこに残り、子供たちの遊び場として機能していた時代のことです。
しかしながら、現在はそれらの場所に「武蔵野」の原型を見出すのは困難です。それらしい場所があったとしても、たいていは都市住民のために整えられた公園であり、管理された自然に過ぎません。

一方で、私が幼少期を過ごした 川越 は、放課後に空き地を駆け回り、雑木林で探検をしてクワガタやカブトムシを捕まえたり、ドブ川に入ってザリガニを探すことのできる場所でした。今思えば、その記憶はまさしく「武蔵野」での原体験であり、平成から令和になった現在も変わらずにあります。
ちなみに、「武蔵野」の大雑把な地理的定義は、多摩川よりも北、荒川よりも南のエリアを指します。独歩や赤坂氏が愛したあの原風景は、都心に近いエリアからは姿を消したものの、その北端でかろうじて生き延びていたのです。
国道16号と車社会の武蔵野

もうひとつの私の原体験は、「親の運転する車の助手席からの風景」 です。
東京の郊外は、鉄道を軸にしたベッドタウンである一方で、完全な車社会 でもあります。日々の買い物やお出かけ、家族旅行もすべて車。高校から電車通学が始まりましたが、結局家から駅までは車でした。
電車が好きで、なおかつ 「1人で遠くに行きたい欲」が人一倍強かった私にとって、その生活は不満の多いものでした(今思えば、都度送り迎えしてもらえただけ大変ありがたかったのですが)。自らの足を持たない子供にとって、郊外、ひいては地方という環境は、圧倒的に行動の選択肢が狭められてしまうものなのです。

もっとも今となっては、ロードサイド店舗の看板がずらりと並ぶ国道16号や、田んぼの中をまあまあの速度で突っ切るあの運転も、どこか懐かしく、豊かだったとも感じています。
ここでちょっと本の紹介。
表紙をクリックすると、楽天市場に移ります。
気になる1冊は見つかりましたか?
selected by レイワレトロ書店
武蔵野の自然の弱さ

武蔵野といえば緑豊かな自然が連想されますが、実はその「自然」はとても弱いものです。
まず、山がありません。多摩地区の一部には崖(ハケ)があるものの、少なくとも自分の住む川越周辺は、どこまでも平坦な土地が続いていました。海もなければ、湖もありません。木々は残っていますが、深い森と呼べるほどの規模でもありません。
結局のところ、川越に残る武蔵野の面影は、武蔵野という文脈に照らせば価値を感じるものの、自然そのものとしては、さほど美しくも魅力的でもないのです。同じ埼玉県内でも秩父の自然のほうがよほど魅力的ですし、関東圏内でも房総や箱根、日光にはとうてい太刀打ちできません。霞ヶ浦や筑波山のある茨城と比べても、やはりアイコニックな存在が欠けています。
郊外住民のアイデンティティ

私は、自分の生まれ育った土地に対する愛着というものが、ほとんどありません。
蔵造りの街並みが有名な「小江戸」川越ですが、住んでいたのは中心街から遠く離れた場所。同じ市内でも、街なかへ遊びに行くときは「川越に行ってくる」とよく言ったものです。
「武蔵野」という名称は、なんだかパッとしない、年寄りくさいイメージを持っていました(今も)。年寄しか利用しなさそうな施設に使われることが多かったのでしょう。それに対して、湘南や横浜のキラキラした響きには憧れたものです。

メディアでは「田舎への帰省」や「ふるさと」が情緒たっぷりに描かれています。まるで盆と正月には新幹線や飛行機に乗るのが当たり前で、誰もが心のなかに「帰るべきふるさと」を持ってるかのようです。しかし、自分にはそれがありません。
一方で、日本の人口の多くを占めるのは、私のような「都心の郊外」に住む人々です。圧倒的に数が多いのにも関わらず、まるで物語の蚊帳の外。そこで彼ら(私たち)は、いったい何を考えているのでしょうか。その様子は、さながらゾンビです。
私の心の中の武蔵野

そうした幼少期のささやかな不満と、ふるさとや地元といったものへのコンプレックスから、これまでは自分の生まれ育った地域を顧みることがありませんでした。
ところが、書籍やメディアを通じて「武蔵野」や「国道16号線」という概念に改めて出会ったとき、まるでこれまでの反動が一気に押し寄せるかのように、急に幼少期の記憶と地域への興味がフツフツと湧き上がってきたのです。

その風景は、決して美しく雄大な自然ではなく、これといった特徴もなく、不便で、どこか砂っぽいものです。
しかし、それでも、あの時の自分は間違いなく「平成の武蔵野」を生きていました。それは、渋谷や府中の住民には経験できないものです。そう考えると、あの日々も、なんだか悪くないように思えたのでした。

