イッツ・ア・スモールワールドは、東京ディズニーランドの開業当初から存在するアトラクションの1つ。
その内容は、子どもたちの平和な世界をボートで一周するという穏やかなものですが、なぜかネットで検索すると「怖い」というサジェストが表示されます。

巷では都市伝説や心霊話が囁かれていますが、それは他の定番アトラクションや国民的アニメにもよくある話です。それだけこのアトラクションが多くの人々にとって身近であり、親しまれている証拠とも言えるでしょう。
しかしその一方で、多幸感あふれる世界観とは裏腹に、どこか不思議で奇妙な感覚を覚えるのもまた事実です。その正体とは、一体何なのでしょうか。
1964年 ニューヨーク万博

このアトラクションの原点は、1964年に開催された「ニューヨーク世界博覧会」にあります。
ウォルト・ディズニー氏が自らプロデュースを手掛け、ユニセフ(国連児童基金)の協賛のもとで制作されたこのライドは、万博の閉幕後、カルフォルニアのディズニーランドへとそのまま移設されました。
世界平和というユートピア

当時の万博というものは、単にエンターテインメントの祭典ではなく、各国が威信をかけて自国のイデオロギーや未来像を誇示する、国家規模のプロパガンダの舞台でもありました。
冷戦の緊張が続く中、このアトラクションが掲げた「世界は一つ」という思想は、アメリカの圧倒的な豊かさと優位性を背景に描かれた、極めて強力なユートピア(理想郷)の提示として利用された面も否定できません。

そう考えると、イッツ・ア・スモールワールドの源流にあるのは純粋な娯楽ではなく、思想や教育とも言えそうです。ここで言う思想とは、“平和の世界とは子どもたちの世界ではないか” というウォルトの真っ直ぐな思いです。


それから半世紀以上の時が流れ、万博が扱うテーマや国際情勢は大きく変化しました。しかし、イッツ・ア・スモールワールドだけは、当時の姿からほとんど変わることなく、今も現役で稼働しています。まさに20世紀の人類が夢見た理想主義の、生きた証人と言えるでしょう。
♪世界中誰だって〜 の歌声が、終わりなく輪唱される完璧な平和な世界。そこに現代の私たちが圧迫感や思想の強さを感じてしまうのは、ある意味当然の反応です。作り手のあまりに純粋で強烈な意志に触れたとき、人はある種の畏怖を抱くものですから。
ここでちょっと本の紹介。
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ドリームコア

近年のインターネット・ミームに「ドリームコア」という概念があります。どこか懐かしいのに、なぜか奇妙な不安をかき立てられる感覚。その正体は、幼少期に体験した “おぼろげな記憶の残像” です。

誰もいない屋内プール、古びたゲームセンター、深夜にふと見たテレビ番組、マクドナルドのプレイランド――そして、このイッツ・ア・スモールワールド。

広くて薄暗い屋内空間に、どこまでも続いていく水路。大量の動く人形たちに囲まれながら、同じ旋律が延々と繰り返される空間。ふと視線を上げると、巨大な顔がこちらを見つめている。
現在、私たちが「ドリームコア」や「リミナルスペース」として消費している視覚表現の多くは、驚くほどイッツ・ア・スモールワールドと一致します。アトラクションがドリームコアを再現しているのではありません。アトラクションがドリームコアを育んできたのです。
幼少期にこのボートに乗ったときの記憶が頭の片隅に残り、大人になる過程でさまざまな記憶と混ざり合って、発酵して…。それがいつしか「ドリームコア」になったのでしょう。
だから、あの奇妙な感覚は、決して怖がる必要はないのです。
子どもの世界

1983年(昭和58年)の東京ディズニーランドの開業以来、ディズニーキャラクターたちが追加された以外は、ほとんど中身が変わっていないイッツ・ア・スモールワールド。
大人になった今でも、子どもの頃とまったく同じ「あの世界」が待ってくれていることは、目まぐるしく変化する現代において、奇跡的な救いと言えます。

「歩き疲れたから、ちょっと休憩がてらに乗ろうか」
私たちはいつだってそうやって大人の言い訳をしながら、本当は、あの完璧に守られた純粋無垢な世界にもう一度浸りたくて、ボートに乗り込むのです。
訪問日:2026年5月

