都市圏人口15万人(市内は9.3万人)を誇る、南信州最大の都市「飯田」。
丘の上にある中心市街地を散策します。
飯田駅



飯田市の玄関口に降り立つと、典型的な地方都市の駅前風景が広がりました。
市内までのアクセスは、鉄道であれば1日2本の特急伊那路、高速バスであれば新宿と名古屋からそれぞれ10本近く運転されています。もはや長距離輸送は 高速バス>鉄道 ですが、駅前にはバスターミナルもあり、やはりここが街の玄関口になっています
そんな駅前から東へおよそ1kmにかけての範囲に、飯田市の中心市街地が広がっています。
飯田市の都市構造
地図で見ると、真ん中を「中央通り(国道256号)」が貫き、その周りを半環状線のようなJR飯田線が走ります。
しかし実際に歩いてみると、半島のように突き出た丘の上の街と、天竜川の支流の谷筋からなる、立体的な地形に気付かされます。また中心部には、札幌や名古屋の大通公園を思わせるような歩行者空間もあり、飯田市の都市景観をより印象的なものにしているのです。

中央公園 と りんご並木(緑地帯)

中心市街地の東西に伸びる「中央公園」。長姫谷川を暗渠化して造られた都市公園です。
谷底のような立地と、徐々に標高が下がっていく地形は、かつての川の流れを思わせます。東側(上流)にはラウンドアバウト(環状交差点)や子供向け遊具が新しく整備されていて、西側(下流)には古いプールや噴水広場があります。


人形時計塔
東西の横軸となっている「中央公園」を進んでいくと、南北の縦軸である「並木通り」と交差します。その交点にあるのが「人形とけい塔 ハミングパル」です。

毎時00分(8:00~19:00)になると人形が動き出す “からくり時計” は、人形劇の街として知られる飯田市のシンボルです。
市内では、江戸時代に伝わった人形浄瑠璃が代々継承されてきました。毎年8月には「いいだ人形劇フェスタ」も開催されています。
「りんご並木」はミニ大通公園?

<南北の縦軸 並木通り>
美しい「りんご並木」が整備された、飯田市街地のシンボルストリートにやってきました。
細長い緑地帯に沿って中小ビルが並ぶ様子は、まるで大通公園(札幌)や久屋大通公園(名古屋)のミニバージョンのようです。実際にそれらの都市と同様に、市街地の防火帯の役目を果たしています。
防火帯が整備されるきっかけとなったのが、1947年(昭和22年)の飯田大火。戦後最大の市街地火災でした。その復興とともに整備されたのが、中央公園とりんご並木なのです。
中心市街地・商店街の本棚
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中央通り と 銀座通り(商業地)



<東西の横軸 中央通り>
駅前と中心市街を結ぶ「中央通り」。沿道には多くの飲食店や商店が密集しており、映画館「センゲキシネマズ」やNTTのビルなども並びます。
これぞ地方都市のメインストリートな都市景観です。
アーケードのある飯田銀座商店街


<南北の横軸 銀座通り>
さらに奥へ進んでいくと、アーケードのある「飯田銀座商店街」にたどり着きました。ここが飯田市の中心商店街ですが、すでに駅からは0.7kmほど離れています。この奥(東側)は、かつての飯田城内です。
市内には全蓋式アーケードはありませんが、片側式アーケードは至るところに見られます。
丘の上の市街地
銀座通りを南へ進むと、突如として中心市街地が終わります。

目の前に崖が現れ、はるか下には松川が流れます。その対岸には再び台地が続いているのです。
伊那盆地は、天竜川の大規模な河岸段丘があり、そこへ流れる支流が谷筋を刻みます。複雑な地形の中で、見晴らしの効く台地の先端部に飯田城が築かれ、その城下町が今日の飯田市街地になっているのです。
弧を描くように走るJR飯田線は、崖を回避しつつ丘を登るための線形だったのですね。
室町時代に築かれた飯田城は、伊那谷南部の拠点でした。碁盤の目状に整備された城下町は「南信の小京都」とも称されます。また三州街道、遠州街道、大平街道、伊那街道の起点となる、交通の要衝でもあるのです。
ホテルシルク
すっかりあたりも暗くなってきたので、ホテルに戻ります。


長野県や群馬県は、明治時代に養蚕業の中核を担ったエリア。ここで生産された生糸が日本の近代化を支えてきました。そんな歴史に由来するホテルで眠りにつきます。
翌朝目覚めると、あたり一面に銀世界が広がっていました。
訪問日 2024年2月24日
